前回は、三井家が「家産は分けない」という思想のもとで、家族と事業の間に大元方という仕組みを置いたことを見ました。
今回は、宗竺遺書が家族そのものをどう「統治」したのかに目を向けます。
最も難しいのは「資産」ではなく「家族」
ファミリーオフィスを考えるとき、多くの方が最初に思い浮かべるのは資産運用でしょう。
株式をどうするか、債券をどれだけ持つか、不動産をどう組み入れるか、海外資産をどう管理するか。もちろん重要です。
しかし、何世代にもわたって富を承継しようとすると、それ以上に難しい問題が出てきます。「家族をどうするか」です。
どんなに優れたポートフォリオ(資産の組み合わせ)をつくっても、家族間で争いが起きれば資産は分裂します。後継者が浪費すれば財産は減ります。家族の一人が巨額の借金や保証を抱えれば、一族全体が危機に陥ることもあります。
「一人で決めない」というルール
三井家の宗竺遺書は、この問題にかなり踏み込んでいます。
例えば、同族の範囲をむやみに広げてはいけないとしました。さらに、結婚、負債、債務保証などについては、一族の協議を経ることを求めています。
現代人から見ると、「結婚まで一族に決められるのか」と抵抗を感じるでしょう。私たちも、この制度をそのまま現代に復活させるべきだとは思いません。個人の自由や価値観は尊重されるべきです。しかし、ガバナンスという観点だけで見ると、非常に合理的な部分があります。
例えば、あなたが、知人の事業の借入2,000万円の保証人になったとします。本人にとっては個人的な判断でも、破綻すれば一族資産へ大きな影響が及ぶかもしれません。だから、「一族の資産に重大な影響を及ぼす行為は、一人で決めない」というルールをつくる。現代企業でいう「重要事項の事前承認」に近い考え方です。
何かあってから考えない
さらに興味深いのが、危機への備えです。
宗竺遺書には、火災や盗難、経済混乱に備えるために現金を穴蔵に備えておく、ということも記されていました。
「身上一致・身底一致」(一族が財産を個人ごとに分けず、家全体の財産として一体的に管理する仕組み)を解消せざるを得なくなった場合や、世の中が大混乱して商売そのものが不可能になった場合には、三井発祥の地である松坂(現在の三重県松阪市)へ引き上げるという最悪の事態まで想定されていました。
現代の言葉なら、流動性の確保、事業継続計画、緊急時対応計画にあたります。
「何かあってから考える」のではなく、「何かあったときにどうするかを、平時に決めておく」。シリーズ第3回で欧米から学ぶべき技術として挙げた「守りの運用規律」と、同じ発想がここにあります。
財産を渡す前に、財産を扱える人をつくる
一方で、三井家は「守る」だけではありません。次世代教育にも非常に力を入れました。
宗竺遺書には、子孫を12、13歳頃から家業の見習いに入らせ、商売を学ばせる仕組みが記されています。単なる精神教育ではなく、学ぶ年齢や場所、修行内容まで含む具体的な教育体系でした。
ここにも重要な示唆があります。財産を渡す前に、財産を扱える人をつくる。現代のファミリーオフィスでいう次世代教育にあたります。
宗竺遺書の考え方を現代に置き換えると、例えば、10代で金融と一族の歴史を学ぶ。20代で社会貢献活動に参加し、投資委員会にオブザーバーとして出席する。自分で働き、社会で経験を積む。一定の年齢と経験に達したら家族会議へ参加する。「30歳になったので10億円相続しました」より、はるかに本質的ではないでしょうか。
所有は一族、経営は専門家でもよい
さらに三井家は、経営を血縁だけで固めたわけでもありません。奉公人をよく選び、その中から「元締め(もとじめ)」と呼ばれる最高幹部を登用することも定めています。
家族だから社長になる、長男だから資産運用を任される。それでは、何世代も続く仕組みにはなりません。家族が担うべきなのは、「何を守るのか」「何のために資産を持つのか」という理念と最終的な意思決定で、奉公人の中から選ばれた元締めのような専門家が担うのは、「それをどう実現するか」という実務です。この役割を分けることが、ファミリーオフィスの重要な意味でもあります。
シリーズ第2回で述べた、商才ある番頭を婿養子に迎え、血よりものれんの永続を優先した日本の商家の柔軟さは、三井家においてはこのように制度化されていたのです。
こうして見ていくと、宗竺遺書とは単なる家訓ではありません。資産を守り、家族を統治し、次世代を育て、専門家を活用し、最悪の事態まで準備する。300年前の日本に、かなり完成度の高いファミリー・ガバナンスの仕組みが存在していたのです。
では、この三井家の思想を現代の日本にどう生かせばよいのでしょうか。
次回はいよいよ最終回。欧米型ファミリーオフィスとの違いから、日本的ファミリーオフィスの「家」という思想を考えます。
どうぞお楽しみに。
<参考資料>
三井広報委員会、三井家の家憲「宗竺遺書」、三井広報委員会ホームページ、2026年9月1日、https://www.mitsuipr.com/history/edo/05/
公益財団法人三井文庫、家訓「宗竺遺書」、三井文庫(史料館)ホームページ、2026年9月1日、https://mitsui-bunko.or.jp/archives/story09/
三井広報委員会、同苗結束のシンボル、「宗竺遺書」の制定、三井広報委員会ホームページ、2026年9月1日、https://www.mitsuipr.com/history/columns/005/
武田晴人、2004年、日本経済思想史 第2回、東京大学オープンコースウェア 講義資料(近世商家・三井家の経営と家法)、2026年9月1日、https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/eco_06/2/notes/ja/JET-02.pdf
公益財団法人三井文庫、危機と記録の時代、三井文庫(史料館)ホームページ、2026年9月1日、https://mitsui-bunko.or.jp/archives/story08/
公益財団法人三井文庫、「宗竺遺書」との関わり、三井文庫(史料館)ホームページ、2026年9月1日、https://mitsui-bunko.or.jp/archives/recommend118/
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