明治39年丙午生まれの祖母は、今で言うなら、『投資の達人』でありました。関東大震災を経験し、戦前に大阪船場の紡績業家に嫁ぎ、第二次世界大戦の戦火を潜り抜け、紡績業衰退後に生き馬の目を抜く阿倍野筋(現在のアベノハルカス前)に生活拠点を移し、一階にはタバコと喫煙具専門店、二階に住居を構えます。祖父は東京で喫煙具関係を仕入れながら行商人として働き40歳で他界。
20代で未亡人になった祖母は、再婚もせずに強く逞しく85歳まで現役でした。読み書き算盤に長け、おまけに霊感まで備わっており、ご近所からはライオンの様な女主人と恐れられていました。祖父の残した3千円と、小さい店を元手に、株式投資や不動産投資と財テクといわれる殆どのものを、1日の大半は証券会社と信託銀行、銀行に出入りしてチャートノートを作成し、独自の研究を重ねる毎日を楽しんでいました。
あとの時間は、華道に茶道、日舞に唄い、三味線に社交ダンスと、優雅な『遊びの達人』でもありました。学校から帰ってきた私を連れて、株主優待券で歌舞伎に漫才、芝居や映画にもよく連れて行ってくれました。株主総会日は、小学校を休まされ、社会勉強と、一部上場の会社に話を聞きに行きましたが、子供の私は話も覚えておらず、帰りに会社のお菓子や、インスタント食品、パンフレット、時にはお弁当等を沢山頂いた事だけが印象的でした。祖母曰く『株主総会で社長や役員の話を聞き、人物を知る、社員を見る、会社の商品土産をもらう事により、これからの会社の成長が伺い知れる‥』と話していました。今思えばそれは正解で、昭和40年代に明治生まれの祖母がそのような感覚を持ち合わせていた事に驚きました。
バブル期も一喜一憂する事なく、売りを乱発せず、持株を我が子の様に成長を見守り、毎日目を通す5紙の新聞や、海外の情報としてNewsweek等、長期に渡り経済を俯瞰していました。祖母亡き後、大風呂敷に包まれた無記名の大量の株券と共にあった遺言状に『賢くゆっくり使い、使った分以上に戻す事、不動産に手をつけてはいけない、、』と記されていました。2代目の母は、365日年中無休に働く、勤労・正直・感謝を絵に描いたような女性で、遺言通り暮らしました。先代の努力と勤労のお陰で今日がある3代目の私は、そのDNAが少しでも発揮出来るよう、パリミキアセットさんで楽しみながら自分らしく経済を勉強させて頂けたらと思っております。どうぞ皆様、宜しくご指導お願い申し上げます。
執筆者:小川 京子