人が集まる理由

2018年02月14日

2月の三連休。全く予定が無かったので、十数年ぶりに江の島に行ってきました。

江の島は、観光地として有名ですが、小田急江ノ島線沿線に住んでいた頃の私にとっては、ちょっと足を伸ばした散歩コースでした。今、住んでいる世田谷からは一時間半はかかるので久々の小旅行。

まずは、江ノ電で七里ヶ浜へ。建国記念日の気温は15度。お天気も良いのでテラス席で、しらす丼を頂きました。今は、しらすの禁漁期。生ではありませんが磯の香りに満たされました。いざ江の島へ。江の島弁天橋を渡るときに、あまりにも人が多いのでびっくりしました。さらに江の島に上陸して江島神社の参道はまるで初詣の賑わい。散歩コースの集客力に興味がわき、資料館で情報収集してきました。

 

江の島は四方を崖に囲まれ、洞窟「岩屋」の存在は昔から宗教的な修行場として、平安時代には空海、円仁、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍など数多くの修行僧たちが修行に励んだと伝えられています。寿永元年(1182年)に源頼朝が弁才天の鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝。鎌倉時代以後も聖域として参詣されてきました。江戸時代後期には江戸庶民の行楽地として大山‐江の島‐鎌倉‐金沢八景を結ぶ観光ルートが流行。寺社参拝を建前に景勝地や古蹟を訪ね、名物料理を味わい、名産を土産とするようになっていったようです。さらに、多くの浮世絵に描かれ、歌舞伎の舞台になり景勝観光地となっていきます。

明治維新の廃仏毀釈により、与願寺は宗像三女神を祀る江島神社となり、宿坊は一般旅館へ。明治35年に江之島電氣鐵道が開通し、鎌倉まで全通すると、江の島と鎌倉を結ぶ観光ルートが確立。しかし、関東大震災では島全体が2メートル近く隆起。津波被害は著しく、建物は倒壊、江の島桟橋は津波で流失しました。

震災の復興が進む中、昭和4年には小田急江ノ島線が開通。戦後、藤沢市と江ノ島鎌倉観光による江の島の観光地開発が本格化。木造の江の島桟橋はコンクリートの「江の島弁天橋」となり、「江の島植物園」「平和塔」が建設されました。この「平和塔」は、私が住んでいる二子玉川(世田谷区)に設置されていた戦時中の落下傘訓練塔を移築したもので、現在の展望灯台が建築される前の初代展望灯台として親しまれていました。

昭和39年の東京オリンピックでヨット競技会場になり、観光客は増加しますが、昭和46年の「岩屋」落石事故により激減。昭和61年、神奈川県は「江の島地区整備計画検討会議」を発足。相模湾岸各自治体との連携で、相模湾岸地域の活性化に取り組みました。

平成5年に江の島植物園のリニューアル工事が行われ江の島サムエル・コッキング苑がオープン。その後は、鎌倉の名所巡りとともに生しらす丼などが、さまざまなグルメ番組で取り上げられて観光&グルメスポットとなりました。「プッシュー」という音をたてて、1tの鉄板で焼く大たこせんべい。2時間待ちの日本初のフレンチトースト専門店。昔ながらの海苔羊羹等々、寄り道し放題。

 

天気が良すぎて日中は、湘南の海に浮かぶ富士は見られなかったのすが、夕暮れ時になり、人の流れに沿って移動すると、夕焼けの中にくっきりと浮かび上がった富士山。この絶景は、今も昔も変わらないのでしょうね。

そしてイルミネーション点灯。これは平成11年に市民が買った3800個の電球でライトアップしたのが始まりとか。

気が付くと昼間の10倍の人が集まっていました。さまざまな取り組みで、昨年は観光客が約40万人増加したそうです。集客力は、先人たちと地元の人たちの努力の賜物なんですね。

執筆者:森京子

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