コロナ禍のため、セミナーはZOOMを使ったオンラインで行われることが多くなりました。そこで折角なら自分らしい画面にしたいということで、自分で撮った纏向遺跡(まきむくいせき、奈良県桜井市)の写真を背景に使うことにしました。
纏向遺跡は、JR桜井線巻向駅の西に隣接し、卑弥呼の墓とされる箸墓(はしはか)のすぐ北に位置し、邪馬台国の有力候補地とされています。この遺跡は、南北の二つの部分に分かれており、写真は、南側の部分で、広場の向こうに奈良盆地の東側の低い山並みが見えます。近接する北側部分には卑弥呼の宮とされ建物群の跡が柱を建植されて示されています。
邪馬台国の候補地は、ほぼ全国にありますが、有力なのは近畿と九州北部です。地縁、学縁のためか、おおざっぱに言えば、近畿の学者等は近畿、九州と東京の学者等は九州の支持者が多いようです。
邪馬台国の所在地については、「魏志倭人伝」によりますが、記述の通りの行程で進むと九州の南はるか海上に至ります。そこで学者等は、行程の方角を南から東に変えて近畿、距離を変えて九州北部に所在するとそれぞれ主張しているのです。
ともに根拠がある説ですが、特に卑弥呼が魏の皇帝から下賜された鏡百枚(三角縁神獣鏡とされる)の行方などは、統一国家としての日本の成立ちにもかかわることになります。また、千八百年ほど前のことで資料も少ないので、候補地現地を見ながら邪馬台国を考えることはそれ自体ロマンがあって面白いものです。
私は、福岡県で生まれてそこで二十年近く過ごし、その後京都、奈良に五十年ほど居住しています。従って、どちらにも地縁があり、思い入れがあるので箸墓に行くとここが卑弥呼の墓かと思い、佐賀県の吉野ケ里遺跡に行くとさすが邪馬台国の候補地だと感心します。
いずれにしても、絶対的な証拠もないので、虚心坦懐、いろいろな説を勘案して考えるというのがバランスの良い判断だと思っています。自分の考えに合わないもの、分からないものは一切排除するというようなこともしない、投資と同様広く分散思考です。
執筆者:永井 哲